チームの歴史

Teams History

太陽の家サッカークラブ 『FC太陽フリーダムス』

 ≪1960年代の障害者スポーツの状況≫
1964年に行われ た『第2回パラリンピック東京大会』 をきっかけとして、当時の障害者スポーツは、徐々に日本国内において認識されるようになり陸上・水泳・卓球・バドミントンなどの個人競技は広まりを見せてきたが、団体競技においては車いすバスケット等は広く普及し活動する事が出来たが立位  (立って走れる)  の団体スポーツは広がりを見せなかった。


 ≪機能訓練~同好会~クラブ≫
太陽の家では、1985年 (昭和60年)当時、 【機能訓練】 の一環として障害者の方々に様々な運動・スポーツを提供していた。
機能訓練は週に一回のペースで、2年毎に様々なスポーツを提供し、期間終了後は取り入れた各種スポーツ活動を自立させクラブ形式にて発展させていくという流れで望んでいた。

太陽の家には、脳性麻痺や片麻痺等の立位の障害者が多く在籍していたので、この方々を対象として
①立って走れるスポーツ
②動きが大きく運動量のあるもの
③ボールを使うスポーツを行いたい 
などの理由からサッカーを始めたボールスポーツは走・跳・投などの運動要素が必要とされ瞬発力・持久力という体力の維持・強化の要素もあり、チームワーク・戦術を考え、理解するというメリットがあった太陽の家は多くの障害者が働いている所で、施設利用者だけでなく関連企業の社員も含め当時サッカーには最大で50名を越す障害者が参加する人気スポーツとなっていた。

機能訓練開始当初はボールを蹴る事も難しい方々が多くいたが、練習を重ねるにつれ基本的な事が出来るようになってくると、ゲームを中心とした活動へと進展して行った。
チーム作りの編成・やり方としては、当時の太陽の家には本館・ゆたか・さくら・鶴見といった寮があった事と外部からの利用者を含めて、参加者の居住地を基準とした考えにてチームを作り寮対抗リーグなどを開催し楽しんでいた。
これは、居住地をベースにすることにより隣近所で違う職場の方々がサッカーを通して一体となり地域を盛り上げて話題作り等が出来るようなシステムとしたかったためである。
この発想は、現在Jリーグが目指している地域密着型の発想と同じであるが、Jリーグよりも数年も前に取り組んだ先駆け的なシステムであった。

機能訓練として2年間のサッカー期間を終了する時に、多くの参加者より継続してサッカーを行いたいという声が上がり、その有志達にて 【同好会】 を立ち上げて活動を開始する事となった。
同好会活動当初は、運営や連絡などを太陽の家職員がサポートしていたが、徐々に同好会メンバー自らにて運営出来る力が身に付き自立できるようになった事により、【クラブ活動】 として1992年に日本初の障害者サッカークラブ【FC太陽フリーダムス】 として活動を開始する事となった。


 ≪活動当初の状況≫
同好会発足当時は、チーム内にて紅白戦を行い楽しんでいたが、次第に対外試合を望むようになってきたが、1990年代当時は、フットサルもなく外で行う11人制のサッカーしかなかった。
11人制のゲームでは、走る距離・スピード・ボールを蹴る力などすべての面で健常者とは対等にゲームを行う事は不可能であった。

また、技術・体力面で小学生となら対等に試合が出来ると思われたが、身長差があり体型面で危ないと言われ試合は断られていた。
大会に出場したいと願っていたが、一般・高校生・中学生・小学生・女子のどのカテゴリーにも参加する事が難しく断念していた。
当時この状況を 『別府市サッカー協会』 の方々からは理解を示して頂き、シニアや女子のチームと共に活動を行っていた。
しかし、クラブ員からは対外ゲームを望む声が後を絶たず、健常者との試合が無理であれば障害者のチームとならと思い、国内各方面の障害者スポーツ関係者等へ連絡を行ってみたが当時国内のどこにも障害者のサッカーチームは存在しなかった。


 ≪SUN-CUPインドアサッカー大会の開催≫
そこで、参加できる大会がないのであれば、自分達で大会を開催すればという逆転の発想で、自分達が常時活動している
体育館を使い、自分達が行っていた紅白戦で考案したルールを使って、室内で行う6人制のサッカー大会として【SUN-CUPインドアサッカー大会】 を開催する事にした。
当時フットサルは世間では浸透してなく、室内で行うサッカーという事からわかりやすく表現するためにインドアサッカーとして、1993年度に第1回大会を行い以降毎年開催している (1993年は国内初のプロサッカーリーグ 【Jリーグ】 が開催された年でもある)

第1回大会を開催するにあたり参加チームがあるのかという不安があったが、県下より11チームが参加して開催する事が出来た。しかし、当チーム以外は全て健常者のチームであった。
回を重ねるにつれ、障害者を含むチームや女子・小学生・シニアのチームなども加わって来て、最高33チーム延べ人数500名が3日間に渡り開催する大きな大会となって行った。
大会は、年齢・性別・障害の有無に関係なくサッカーをやりたい方全てを受け入れ同一カテゴリーで行う事とした。
それにより同一ルールーにて、小学生が大人と、女性と男性が対戦する、子供と大人、男女が同じチームで参加する、そこに障害者も加わってくる、結果として今までになかったスタイルでのサッカーを楽しめる場を提供する事が出来る様になった。
これも現在浸透してきている 【ノーマライゼイション】 の考えをいち早く取り入れた取り組みであった。
その後、県内においてフットサル大会が開催されるようになって来たので、当チームも参加申し込みを行ったが、当初 主催者側からは「障害者と一緒に行う事で、怪我でもされたら」等の理由により難色を見せられた。

しかし、【SUN-CUPインドアサッカー大会】 の実績にて、障害者と健常者が問題なくゲームが行えている事が認められ国内において今日では、当大会がきっかけとなり障害者も問題なく一般の大会に参加する事が出来るようになった。


 ≪現在の活動状況≫
県内で開催される大会 (一般大会を含む) には可能な限り参加し、西日本を中心として開催されている障害者サッカー大会には積極的に参加している。
大分県障がい者サッカー協会に加盟し、主として県内での大会・講習会等を開催・支援し活動の普及に努める年齢・性別・障害の有無を問わず 週一回のペースで、練習を行っている。